横浜地方裁判所 平成5年(ワ)1217号 判決 1994年1月24日
原告
鈴木一信
被告
茂手木ゆかり
主文
一 被告は、原告に対し、三〇〇四万二八〇円及びこれに対する平成二年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一は原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
四 この判決の主文一は、仮に執行することができる。
事実
一 当事者の求めた裁判
1 原告
(一) 被告は、原告に対し、六一九三万二九〇九円及びこれに対する平成二年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
2 被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
二 当事者の主張
1 請求原因
(一) 交通事故の発生
次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生し、原告はこれにより受傷した。
(1) 日時 平成二年八月九日午前一時二〇分ころ
(2) 場所 神奈川県横浜市金沢区瀬戸一八―一四先交差点
(3) 原告車 普通貨物自動車(横浜四六さ七三一〇)、運転者・原告
(4) 被告車 普通乗用自動車(横浜七七の七四〇三)、運転者・被告
(5) 態様 右交差点において、原告車が信号に従い右折しようと右折合図を出し、前方からの直進車が通り過ぎるのを待つて停車中、後方から被告車が原告車に追突したもの
(二) 責任原因
被告は、被告車を運転中、前方を注視して運転すべき注意義務があるのにこれを怠り、脇見運転をして、信号に従い右折しようとして停車中の原告車に被告車を追突させた過失があるので、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。
(三) 損害
(1) 本件事故による原告の傷害の内容・治療の経過及び後遺症とその程度等は、次のとおりである。
<1> 傷病名 中心性頸髄損傷・外傷性頸椎多椎間すべり症
<2> 治療の経過
ア 入院 磯子中央病院に平成二年八月九日から同月一七日まで九日間、横浜南共済病院に平成二年八月一七日から同年一一月一二日まで八八日間
イ 通院 横浜南共済病院に平成二年一一月一三日から平成三年一二月一〇日まで三九三日間(実通院日数、一七日間)
<3> 後遺症とその程度
平成三年一二月一〇日症状固定とされた、右上肢の知覚鈍麻、両上肢腱反射亢進、後頭部痛、頸部痛などの神経症状が残存し、頸椎の可動域制限も正常の二分の一以下であるなどの後遺症がある。右は、自動車損害賠償保障法施行令第二条別表(以下「施行令別表」という。)所定の第七級に該当する。
(2) 右(1)による具体的損害額は、次のとおりであり、合計六一九三万二九〇九円である。
<1> 治療費関係 六〇六万七八円
ア 治療費 五二五万六四八六円
イ 入院付添費 家政婦 六万九七七二円
家族分 四八万五〇〇〇円
家族分は、入院九七日間につき、一日当たり五〇〇〇円の割合による金額である。
ウ 入院雑費 一一万六四〇〇円
エ 転院寝台車代 三万五〇二〇円
オ リハビリ治療費 六万一五〇〇円
カ マツサージ代 一万七〇〇〇円
キ 通院交通費 一万八七〇〇円
<2> 休業損害 一〇二万六四〇九円
<3> 逸失利益 四三一二万一七四九円
原告は、症状固定日(平成三年一二月一〇日)当時三八歳で、同日の属する年度の収入は五一六万八六五四円であつたところ、本件事故による後遺症(第七級)のため労働能力を五六パーセント喪失したから、後遺症による逸失利益は、次の計算のとおりとなる。
五一六万八六五四円(年収)×〇・五六(労働能力喪失率)×一四・八九八一(喪失期間二八年に対応するライプニツツ係数)=四三一二万一七四九円
<4> 慰藉料 一二七一万円
ア 入通院慰藉料 二二〇万円
原告は、前記のとおり、本件事故による傷害のため、平成二年八月九日から平成三年一二月一〇日までの間、入院九七日間、通院三九三日間(実通院日数、一七日間)にわたる治療を余儀なくされた。特に、横浜南共済病院入院中にあつては、頸椎を固定するため、治療器具をボルトで頭部に取り付けられ、仰臥した不動の姿勢のまま五週間の安静を強いられるなど、精神的苦痛は甚大であつた。これらの苦痛に対する慰藉料としては二二〇万円が相当である。
イ 後遺症慰藉料 一〇五一万円
<5> 眼鏡・時計その他の損害 三〇万九八〇〇円
<6> 弁護士費用 五六〇万円
<7> 損害の填補 △六八九万五一二七円
<1>ないし<6>は合計六八八二万八〇三六円となるところ、原告は、本件事故による損害について、被告側の保険会社である興亜火災海上保険会社株式会社から合計六八九万五一二七円の支払を受けた。
四 よつて、原告は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、六一九三万二九〇九円及びこれに対する本件事故日である平成二年八月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。
2 請求原因に対する被告の答弁
(一) 請求原因(一)は、本件事故の発生は認める。
(二) 同(二)は、被告の責任は争わない。
(三) 同(三)について
(1) (1)は、受傷及び入通院の事実は認める。また、原告の後遺障害について、自動車損害賠償保障法上は第七級と認定されたことは認める。
(2) (2)は、<1>のア、イのうちの家政婦分、エ、オ、カ、キ、は認める。イのうちの家族分は否認する。医師もその必要性を認めていない。ウは争う。全期間について一日一二〇〇円の必要性は認められない。<2>は認める。<3><4>は、その金額争う。<5><6>は不知。<7>の損害の填補の点は認める。
3 被告の主張
(一) 逸失利益について
原告は、後遺障害による逸失利益について、症状固定時の三八歳から自賠責保険の用いる労働基準監督局長通牒の示す労働能力喪失率どおりの稼働能力の制限を受け、それが将来六七歳まで継続するとの前提でこれを算定している。しかし、それは妥当でなく、原告の逸失利益は次のように考えるのが相当である。
(1) 原告の後遺障害の内容と労働能力との関係
<1> 原告については、第三ないし第六頸椎が不安定であるとして、その治療のために、骨盤骨の一部を削り取り、採取した骨で第三ないし第六頸椎をつなげる手術(三椎間前方固定術。以下「本件手術」という。)が行われている。そして、その後遺障害として、右手術の施行に伴つて頸椎部の運動制限が残ることが施行令別表所定の第八級二号に該当するとされ(以下、これを便宜「後遺障害A」という。)、また、右手術施行のために採骨した場所はそのままであるので、採骨前の形と比較すれば「奇形」(骨盤骨の変形)に当たるとして第一二級五号と認定され(以下、これを便宜「後遺障害B」という。)、双方が合わさつて自賠責保険の取扱上は一級繰り上げられて「併合第七級」と認定されたものである。
<2> ところで、本件手術は、原告が生来頸椎の脊椎管が狭いうえに、頸椎が不安定であつたために行われたものであり、その施行の動機は、原告が素因として有していた体質に起因するところが大きい。同手術は、本件受傷による疾病だけの治療として必須不可欠のものではなかつた。しかも、後遺障害Bは、労働能力に影響を及ぼすものではない。
<3> 後遺障害Aは、三つの頸椎を採取した骨を添え木状に当てて固定してしまうために、当該三頸椎が可動域を制限される結果となるものではあるが、その程度は、正常の場合と比べて、前後屈が四分の三、側屈が三分の二、回旋が二分の一にそれぞれ制限されるというもので、「比較的軽い」とされている。さらに、右のような運動制限は慣れによつて改善される。右の前後屈、側屈及び回旋は、体を曲げたり回すことによつて補えるところであり、かつ、それに慣れてくるとその動作がやりやすくなるということである。そして、右のような運動制限の稼働率に対する阻害の程度は、座業や車の運転を含めた営業活動においては、それが重量物を持つ作業でなければ五パーセント程度である。現在では、重量物の運搬には、自動車はもとより、キヤスターやリフトが普及・活用されているから、人が自ら長時間あるいは長距離にわたつて重量物を運搬する業務はまず考えられない。
<4> 原告は、現に、平成四年九月初めには乗用車を購入して運転している。
<5> 右<1>ないし<4>の事実からすると、原告の後遺障害による逸失利益については、労働能力喪失率を最大でも二〇パーセントとみるのが衡平である。また、現今の労働市場や雇用情勢の実態からすれば、労働者は五五歳ころまでには第一次定年を迎えるのが普通であり、かつ、原告の稼働率は、将来の慣れによつて改善されることが明らかであるから、原告について逸失利益の保障をしなければならない妥当な期間は五五歳までとするのが相当である。そして、その間も稼働力は順次改善されるのであるから、労働能力喪失率は順次低減させるべきであり、三八歳から四五歳までの七年間は二〇パーセント、その後五〇歳までの五年間は一五パーセント、五五歳までの五年間は一〇パーセントとするのが相当である。
(2) 逸失利益算定の基礎とすべき年収
原告の本件事故当時の決まつて支給される給与は月額二五万六七九〇円である。一方、賃金センサス平成二年第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者の学歴計の決まつて支給される給与は月額三二万六二〇〇円であり、それは原告の実給与額を上回つている。したがつて、原告の逸失利益は、右賃金センサスにおける年収額五〇万八六〇〇円を基礎として算定するのが最も衡平である。
(二) 慰藉料について
入院治療が長期化したのは頸椎の前方固定のためであり、慰藉料の算定に当たつては、本件手術についての前記の事情を考慮すべきである。入通院慰藉料は一五〇万円、後遺症慰藉料は八〇〇万円程度が相当である。
4 被告の主張に対する原告の反論
(一) 逸失利益について
被告は、稼働期間を五五歳までとしたうえ、労働能力喪失率も順次低減させるのが相当であると主張するが、いずれも失当である。
(1) 稼働期間について
現在の労働の実態からみて五五歳で定年退職という会社はむしろ稀であるとともに、定年退職後も再雇用・再就職の例が大半である。また、多くの判例は、定年退職のない専業主婦について六七歳までの就労可能年数を認めたり、高齢者について平均余命を基にして六七歳以上に至る年齢までの就労可能年数を認めたりしている。原告の逸失利益算定のための稼働期間についても六七歳までと考えるべきである。
(2) 労働能力喪失率の低減について
<1> 被告の主張は、改善の時期、喪失率の低減割合のいずれについても全く根拠がなく、恣意的なものである。
<2> 原告は、本件事故前は、平成二年四月二一日から株式会社第一興商横浜支店に勤務し、係長として、顧客である「カラオケボツクス」店に対する企画・運営の指導や、商品である「カラオケセツト」の販売の仕事に従事していた。具体的には、「カラオケボツクス」各店の巡回、打合せ、会議等のため、毎日平均一〇時間位(距離にして二五〇キロメートル)車を運転し、一二時間位稼働していた。しかし、事故後は、後遺障害によつて頭の回旋が二分の一以下になつたため、車の運転(特に車庫入れなどの際のバツク)に支障をきたし、また、一時間以上車を運転したり、冷房のある部屋に入つて五分位すると後頭部及び後頸部にもやもやとした二日酔いのときのような鈍痛・悪寒が生じ、到底、従来の仕事に従事できないことから、原告は、平成四年八月二〇日、右会社を退職した。
<3> その後、原告は、自宅で「カラオケセツト」を販売したりしていたが、平成五年四月からは、工事現場における交通整理の警備員として稼働している。この仕事についたのは、座つていると後遺障害からくる腰下肢の疼痛・痺れが生じ、立ち仕事の方がまだ楽であるため、やむなく選んだものである。なお、この警備員の給料は、一日九〇〇〇円の日給月給(賞与はない。また、社会保険・健康保険もない。)で、残業のある月でも一か月の手取りは二〇万円ないし二三万円である。
<4> 原告は、症状固定後も、後遺障害の神経症状を緩和させるために、「横浜治療院」や「神田治療室」に通い、鍼灸治療を受けている。
<5> 右のように、原告は、後遺障害のために、現に転職を余儀なくされて収入も半減し、神経症状を緩和させるために鍼灸治療が欠かせない状況にある。被告は、「慣れ」によつて稼働率は次第に改善されるとして労働能力喪失割合の低減を主張するが「慣れ」というのは「後遺症があることに慣れる」だけであつて、そのことで「日常生活に支障がなくなる」ということとは別のことである。そもそも器質的障害が回復すると考えるのは不合理であるし、一般的に時間の経過によつて「慣れ」による回復が見込まれると断ずることもできない。むしろ。ハンデイキヤツプによる経済的不利益は、時間の経過とともに益々大きくなると考えるのが合理的である。身体障害があるという事実から、健康な身体の者と比較して、昇給・昇進面で不利益を受けることの方が現実の社会では多いからである。現に、原告の場合もそれゆえに転職を余儀なくされたのであるし、仮に配転などによつて前職にとどまることができたとしても、従来のように稼働することができなくなつた原告には「できる仕事とできない仕事」があるわけであるから、やはり、将来的には昇給・昇進面で不利益を受ける可能性が高いのである。
(二) 慰藉料について
(1) 入通院慰藉料について
原告は、本件事故による受傷のため、次のような苛酷な治療を余儀なくされ、通常の治療の場合よりも著しい苦痛を被つた。したがつて、入通院の慰藉料としては二二〇万円が相当である。
<1> 平成二年八月一八日から同年九月一〇日までの間、頸椎損傷による諸症状を軽快させるため、牽引治療を施された。これは、頭骨にドリルで穴を空け、金具をそれに引つかけて一方の端に二キログラムの錘を吊して牽引するというものである。原告は、この間(二四日間)完全に仰臥したままの姿勢を維持させられ、著しい苦痛を強いられた。原告が入院していた横浜南共済病院では、完全看護で付添家政婦を付けられなかつたため、食事も鏡を使つて自分でとらなければならなかつた。
<2> 同年九月一〇日、ようやく右の牽引治療から開放されたが、今度は、「頸椎カラー」を装着され、頸部を固定された。同月二〇日には、さらに頸部を固定するための金具を取り付けたために、側頭部四点をボルトで皮膚の上から頭骨に至るまできつく締め付けられた。
<3> 同年九月二一日、本件手術が行われた。この手術は、前記の牽引治療だけでは完治しないために行われたもので、腰骨を削り取り(八針縫つた。)、その骨を頸椎の間に楔のように埋めて固定するものであつた。手術後、原告は、<2>の頭部に取り付けられた金具に軸を取り付けて胴とつなぎ、頸椎を完全に固定するための装置を装着させられた。この装着により、金具が当たつて横向きになれないため、再び原告は完全にその状態で仰臥したままの姿勢を維持させられ、大小便とも尿瓶でとることを強いられた。さらに、四本のボルトがこめかみに骨に至るまで堅く食い込んでいるため、頭痛がし、顎が痛くて食事も満足にできない状態であつた。このような状態が、同年一〇月一九日まで約四週間も続いた。右の装置の使用により、左肩関節が拘縮するほどであつた。
<4> 同年一〇月二〇日、右の装置を着けたまま、ベツドに起き上がり、自分で用便をするなどの訓練をした。
<5> 同年一〇月二六日、右の装置は取り外されたが、その後は、頸部の固定のため「頸椎カラー」を退院後の平成三年二月二〇日まで約四か月も装着させられた。
(2) 後遺症慰藉料について
後遺症慰藉料の算定に当たつては、次のような事情も斟酌されるべきである。
<1> 本件事故に遭つたことにより婚期を逃したことについて
原告には昭和六二年(当時、原告は三三歳)ころから三年ほど交際していた女性がいたが、原告は、本件事故による入院中、同人から「もう会わない」旨を告げられた。原告は、翻意を求めて会いに行くこともできず、本件事故による負傷のため将来も予測できない自分と結婚してほしいと積極的に申し入れることもできないまま別れざるを得なかつた。原告は、その後も右による精神的シヨツクから立ち直れず、結婚のことは考えられない状態が続き、また、見合いの話や縁談があつても、原告の身体の状態や停職につけずガードマンとして自分がやつと生活できる程度の収入しかないことが明らかになると、結局は、「じやあ、ちよつと紹介できないね」となつてしまうのである。
原告は現在四一歳になる。原告とすれば。本件事故さえなければ、あるいは本件事故による後遺障害さえなければ、株式会社第一興商に勤務して普通に結婚ができたと考えている。
<2> 日常生活について
原告は、現在でも後遺障害のため「耳鳴り」がする。特に、夜就寝するときのように周りが静かになると、「キーン」という耳鳴りがしてなかなか寝付けない。しかも、寝付いても、六時間位経つと頭から背中にかけて重い感じでズギズキと痛み出し、とても寝てはいられなくなる。また、原告は、頸椎の可動域制限のため、小便をするとき自分のものを見ることができないため、方向が定まらず。便所を汚すことが時々ある。そのようなとき、原告は本当に情けなく、悔しく思つている。さらに、原告は、下にある物を取るときも、頸椎の可動域制限のため、身体全体を下に向けて拾わなければならない状態である。
<3> 趣味的生活ないしはスポーツについて
原告は、宮城県の鳴子温泉の近くに生まれ、小中学生のころからスキーに慣れ親しんできた。事故前は毎シーズン最低二回位はスキーを楽しんでいた。また、生来スポーツ好きで、昭和五八年ころからはゴルフも始め、時々コースに出て楽しんでいた。しかし、本件事故による後遺障害のため、医師からはスキー、ゴルフとも禁止されてしまつている。原告とすれば、好きなスポーツを楽しむ機会も奪われてしまつたのである。
三 証拠関係
記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。
理由
一 当事者間に争いがない事実及び弁論の全趣旨によれば、請求原因(一)(二)の各事実を認めることができる。
二 そこで、本件事故による原告の損害について判断する。
1 原告の傷害の内容・治療の経過及び後遺症
原告が、本件事故により中心性頸髄損傷・外傷性頸椎多椎間すべり症の傷害を受けたこと、磯子中央病院に平成二年八月九日から同月一七日まで九日間、横浜南共済病院に平成二年八月一七日から同年一一月一二日まで八八日間入院したこと、横浜南共済病院に平成二年一一月一三日から平成三年一二月一〇日まで三九三日間にわたつて通院し、その間の実通院日数は一七日であること、以上の点は当事者間に争いがない。また、原本の存在・成立に争いのない甲第七号証、成立に争いのない甲第一三号証、乙第一号証及び弁論の全趣旨によると、原告には、右の傷害による後遺傷害として、右上肢の知覚鈍麻、両上肢腱反射亢進、後頭部痛、頸部痛などの神経症状が残り、頸椎の可動域が、正常な場合と比べて、前後屈において四分の三、側屈において三分の二、回旋において二分の一にそれぞれ制限されるに至つたこと、右の後遺傷害は平成三年一二月一〇日症状固定と診断されたこと、そして原告の後遺傷害については、自賠責保険の取扱上、施行令別表所定の第七級に該当すると認定されていること(この点は、当事者間に争いがない。)、もつとも、右の第七級というのは、第一三級以上の身体傷害が二以上あるとされ、重い方の等級が一級繰り上げられた結果であること、すなわち、原告については、本件事故に起因する治療において、第三ないし第六頸椎が不安定であるとして、骨盤骨の一部を削り取り、採取した骨で第三ないし第六頸椎をつなげる手術(本件手術)が行われたところ、右手術の施行に伴つて頸椎の可動域に前記のような運動制限が残ることが第八級二号に該当するとされ(後遺障害A)、右手術施行のために採骨した箇所が採骨前の形と比較すれは「奇形」に当たるとして第一二級五号とされた(後遺障害B)ことによるものであること、以上のとおり認められる。右の認定を動かすに足りる証拠はない。
2 具体的損害額
右1を踏まえて、以下、原告主張の順に従い具体的損害額を検討する。
(一) 治療費関係
治療費五二五万六四八六円、入院付添費のうちの家政婦分六万九七七二円、転院寝台車代三万五〇二〇円、リハビリ治療費六万一五〇〇円、マツサージ代一万七〇〇〇円、通院交通費一万八七〇〇円、以上合計五四五万八四七八円については当事者間に争いがない。
原告は、入院付添費の家族分として、入院九七日間につき一日当たり五〇〇〇円の割合による四八万五〇〇〇円を主張するが、原本の存在・成立に争いのない甲第二号証の一ないし六及び成立に争いのない甲第一一号証及び弁論の全趣旨によれば、右入院期間九七日間の大部分である八八日間を占める横浜南共済病院においては完全看護制が採られており、職業付添人はもとより、家族が介護のために付き添うことも認められておらず、現に家族が介護のために付き添うことはなかつたものと窺われるから、前記の家政婦分を超えて家族の入院付添費を認めることはできない。
入院雑費については、入院一日につき一二〇〇円程度の雑費を必要としたであろうことは推認に難くなく、これに入院期間九七日を乗じた原告主張一一万六四〇〇円を損害として認めるのが相当である。被告は全期間について一日一二〇〇円の必要は認められない旨争うが、その所以は明らかでなく、採用しない。
右によると、治療費関係は合計五五七万四八七八円となる。
(二) 休業損害
原告の休業損害が一〇二万六四〇九円であることは当事者間に争いがない。
(三) 逸失利益
(1) 後遺障害による労働能力喪失の程度・期間
原告が本件事故による後遺障害のため、一定割合の労働能力を喪失し、得べかりし利益を失うであろうことは弁論の全趣旨から明らかであるところ、一般に、「労働能力の低下の程度については、労働省基準局長通牒(昭和三二年七月二日基発第五五一号)別表労働能力喪失率表を参考とし、被害者の職業、年齢、性別、後遺症の部位、程度、事故前後の稼働状況等を総合的に判断して具体例に当てはめて評価する」ものとされ、また、「労働能力低下期間は、障害の内容・部位・程度、年齢などによつて決定される」ものとされており、当裁判所もこれをもつて相当と解する。このような見地から原告の後遺障害による労働能力喪失の程度・期間を検討すると、次のとおりである。
<1> 原告の後遺障害の内容等は前記1認定のとおりであるところ、これについて、前記労働能力喪失率表の定めをそのまま当てはめると、労働能力喪失率は、第七級については五六パーセント、繰り上げ前の第八級については四五パーセント、第一二級については一四パーセントである。しかし、原告の後遺障害は等級としては第七級と認定されてはいるが、それは、前記のように第八級に当たる後遺障害Aと第一二級に当たる後遺障害Bという二つの後遺障害があることによる繰り上げ等級であり、かつ、後遺障害Bは、その内容・部位・程度に照らすと、原告の場合、直接労働能力の低下と結び付くものとはいえない。「奇形」が残つたことによる不利益等があるにしても、それは慰藉料算定の際に斟酌することをもつて足りるものというべきである。したがつて、労働能力喪失との関係で問題とすべき後遺障害は後遺障害Aであり、右労働能力喪失率表所定の喪失率としても、これに係る四五パーセントを参考として取り上げれば足りることになる。
<2> そして、後遺障害Aによる労働能力喪失に関しては、前掲乙第一号証(弁護士法二三条の二に基づく照会に対する回答書)によると、前記横浜南共済病院の大成克弘医師(前掲甲第二号証の五・六、第七号証によれば、原告の治療に当たつた医師の一人であり、その後遺障害について診断し、「自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書」を作成していることが認められる。)は、被告訴訟代理人の照会事項に対し、次のように回答していることが認められる。
ア (照会事項)
原告は、頸椎(C3~6)の前方固定施術をされていますが、店内営業や対外的営業職を勤めるについて、具体的には稼働上どのような支障が出ると考えられますか。
(回答)
頸推の可動域制限、特に回旋が右三四度、左三四度と制限されているため、自動車の運転には多少支障がある。また、耳鳴りや吐き気、右上肢痺れがあるため、重労働は無理と思われる。頸椎の運動制限からいえば、正常な場合に比べて、前後屈は四分の三、側屈は三分の二、回旋は二分の一にそれぞれ制限されおり、その程度は比較的軽い。
イ (照会事項)
右の支障は慣れ等によつて時間的には改善されるものでしようか。慣れるまでに何年ぐらいを要するでしようか。
(回答)
慣れによつてかなり改善される(可動域が増大するという意味ではない)と思われるが、個人差があるため、時期については言及できない。
ウ (照会事項)
前方固定術による障害があることによつて、頸椎に障害のない場合と比べ稼働率がどの程度阻害されるでしようか。
(回答)
稼働率は仕事の実際の内容にもよるので、単純には言及できない。座業や車の運転を含めた営業で、重量物を持つ作業でなければ阻害率は五パーセント程度でしようか。
なお、前掲甲第一三号証(前掲乙第一号証の記載に関する原告及び原告訴訟代理人の質問に対する大成医師の回答書)によると、大成医師は、右認定の回答について、その後、次のような補充的説明を加えていることが認められる。
ア アの「その程度は比較的軽い」というのは、原告の場合、前後屈、側屈、回旋のすべての運動制限が二分の一以下ではないという意味である。
イ イ については、原告の場合でも、日常生活上、慣れによつてかなり改善されると考える。根拠は、体幹による代償作用(例えば、回旋についての運動制限がある場合に、頸が回らないことを体の軸を頸と一緒に回すことで補う、といつたこと)とか、人間の適応能力ということになる。これらの作用について、多くの患者の例からみて、慣れによる改善ということがみられるということである。もつとも、「慣れによつて改善される」というのは、まさに頸椎の可動制限が正常の二分の一以下であること、そのこと自体に慣れることを意味するのであつて、その結果、日常生活において支障がなくなるかどうかということは別のことだと思う。なぜなら、例えば、無意識的動作においては、頸が回らないことを体の軸を頸と一緒に回すことで補うといつた作用がみられるが、車の運転中、シートベルトをしている場合には、体を頸と一緒に回すことができない状況にあるわけであるから、後ろを見ることができず、日常生活において支障があるということになるからである。
ウ ウの「阻害率は五パーセント程度」というのは、特に根拠があつたわけではない。照会事項自体が、本来医師の判断できることではないので、これについては「分かりません」と回答した方がよかつたのかもしれないと思つている。「稼働率は仕事の実際の内容にもよるので、単純には言及できない」と書いたのはその趣旨である。私は、原告の詳しい仕事の内容は聞いていないので、「阻害率は五パーセント程度」というのは前提を欠くもといわざるを得ない。本来、阻害率の程度は、事故の前後の原告の仕事の生産性についての比較の問題で、原告の仕事を現場で見ている人でないと判断できないものであると考える。
<3> 前掲甲第七号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二八年九月二日生まれの男子で、後遺障害の症状固定時の年齢は三八歳であつたことが認められる。また、原本の存在・成立に争いのない甲第五号証の一ないし三、第六号証、成立に争いのない甲第八号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一〇号証、第一二号証の一ないし三及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告の本件事故当時の仕事・収入と、その後転職を余儀なくされ、収入も相当程度減つた状態で現在に至つていること等、事故前後の稼働状況等は、概ね、原告が「被告の主張に対する原告の反論」の(一)(2)<1>ないし<4>で主張しているとおりであることが認められるとともに、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件事故後乗用車を購入し、裁判所への出頭にもこれを利用するなど、現在、日常的に自動車を運転していることが認められる。
<4> 右<1>ないし<3>によれば、原告の後遺障害として労働能力喪失との関係で問題としなければならないのは、頸椎についての可動域の制限であるところ、それは、自動車の運転には多少支障があるものの、前後屈、側屈、回旋のすべての運動制限が二分の一以下ではないという意味合いであるにせよ、担当医師によつて「その程度は比較的軽い」と評されており、現に、原告は日常的に自動車を運転していること、また、担当医師は、右の可動域の制限の稼働に対する影響について、「仕事の実際の内容による」という留保はつけながらも、一般論的には、「座業や車の運転を含めた営業で、重量物を持つ作業でなければ」さほどのものではないとの見解をも示していること、等の事実が明らかであり、これらを総合すると、原告の後遺障害による労働能力喪失率について、その主張の後遺障害等級第七級に係る五六パーセントはもとより、後遺障害Aに係る四五パーセントという数値も、これをそのまま採用するのは到底相当とは思われないが、一方、事故前後の実際の稼働状況に照らすと、原告が、右の可動域の制限を含む後遺障害のために現に稼働上かなりの不利益を余儀なくされていることも頷けるところであり、被告主張のように、労働能力喪失率を最大でも二〇パーセントとするのは、やや原告に酷に過ぎるものというべきである。なお、被告は、右可動域の制限を招いた本件手術は原告がもともと有していた体質的素因に起因するするところが大きい旨主張し、原告本人尋問の結果中には、その寄与の程度はともかく、原告に右の素因があつたことを窺わせるかのような部分もないではないが、それだけでは右主張を肯認することはできず、他にこれを認めさせるべき証拠はない。
ところで、労働能力喪失期間について、原告は症状固定時から六七歳までとするのに対し、被告は、労働者は五五歳ころまでには第一次定年を迎えるのが普通であることを理由に終期を五五歳までとし、かつ、将来の慣れによつて稼働率が改善されるとして一定期間ごとに喪失率を漸減すべきである旨主張する。被告の右主張は、慣れによる稼働率の改善をいう点は、一般的・抽象的には一理ないではない面もある。後遺障害という器質的障害の回復自体はともかく、それを補うための代償作用に慣れるにしたがつて、後遺障害の発生当初よりもよりよく仕事をこなすことができるようになるかもしれないことがあり得るであろう。原告についても同様のことがいえるかもしれない。この意味において、原告の頸椎可動域の制限という後遺障害の影響が時間の経過とともに少なくなるという可能性を完全に否定することはできないとしても、本件でその程度と時期を被告主張のように具体的に認定するのは困難であり、右のような事情は、労働能力喪失期間全体を通じての労働能力喪失率如何の問題の中でこれを斟酌することをもつて足り、またそれが相当というべきである。労働能力喪失期間の終期を五五歳までとする点は、仮に、労働者のいわゆる第一次定年が五〇歳代にくるのが普通であるとしても、一般に六七歳までは稼働可能期間と解されているのであり、原告についてこれと別異に考えなければならない事情も見い出せないから、採用の限りでない。
<5> 以上の認定・説示を総合勘案し、当裁判所は、原告の後遺障害による労働能力喪失の程度は次の期間全体として平均二五パーセント、期間は症状固定時である平成三年一二月一〇日当時の原告の年齢三八歳から六七歳までの二八年間をもつて相当と認める。
(2) 逸失利益算定の基礎とすべき年収
原本の存在・成立に争いのない甲第六号証によれば、原告は症状固定時の属する平成三年の年収として五一六万八六五四円を得ていたことが認められる。これを逸失利益算定の基礎とすべき年収とするのが相当である。被告は、賃金センサスにおける年収額五〇六万八六〇〇円を主張するが、採用しない。
(3) 右(1)(2)に基づき、年五パーセントの割合による中間利息の控除についてライプニツツ係数を適用して算定すると、次のとおりであり、原告の本件事故時における逸失利益の現価は一八三三万四一二〇円となる。
五一六万八六五四円(年収)×〇・二五(労働能力喪失率)×一四・一八八七(事故時から労働能力喪失期間終期までを原告の年齢によつて計算した二九年のライプニツツ係数一五・一四一〇から、事故時より症状固定時までを右同様に計算した一年に対応するライプニツツ係数〇・九五二三を差し引いたもの)=一八三三万四一二〇円(円未満、切捨て)
(四) 慰藉料
(1) 入通院慰藉料
入院期間(九七日)、通院期間(三九三日)とその実日数(一七日)、入通院期間中における治療状況(前掲甲第二号証の一ないし六、第一一号証、原本の存在・成立に争いのない甲第三号証、第四号証の一ないし六、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により治療期間中の原告の状況を撮影した写真と認める甲第九号証の一ないし一九〔原告を写したものであることは争いがない。〕及び原告本人尋問の結果によれば、それは、概ね、「被告の主張に対する原告の反論」(二)(1)<1>ないし<5>のようなものであつたと認められる。)等に鑑みると、入通院慰藉料としては二〇〇万円をもつて相当と認める。
なお、被告は、入通院慰藉料については、本件手術が行われたについては原告が素因として有していた体質に起因するところが大きいことが考慮されるべきである旨主張するが、採用しない。
(2) 後遺症慰藉料
後遺障害の内容・程度並びに前掲甲第一一号証及び原告本人尋問の結果によつて窺われる「被告の主張に対する原告の反論」(二)(2)<1>ないし<3>のような事情、さらには弁論の全趣旨をも合わせると、後遺症慰藉料としては八〇〇万円をもつて相当と認める。
(五) 眼鏡・時計その他の損害
これを認めるに足りる証拠はない。
(六) 弁護士費用
本件事案の性質、審理の経過、後記の認容額等に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は二〇〇万円をもつて相当と認める。
(七) まとめ
以上によると、本件事故による原告の損害は三六九三万五四〇七円である。
3 損害の填補
原告が本件事故による損害について合計六八九万五一二七円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。したがつて、原告の残損害はこれを差し引いた三〇〇四万二八〇円となる。
三 よつて、原告の本訴請求は、三〇〇四万二八〇円及びこれに対する本件事故発生日である平成二年八月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるから、民事訴訟法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 根本眞)